No.233 『勝ちから始まるプライドも、そう悪くはない。』

記事(2007年1月19日)

   北杜夫の『幽霊』の中に、こんなシーンがあります。放課後、掃除当番で一人残った「僕」は、教室の後ろの壁に貼り出されている作品のうち、10枚中6枚が自分の絵であることに気づきます。以下引用。

   ふいに、いかにも子供っぽい、だが僕にとっては得体の知れぬ憤ろしさに近い感情が、胸の底からわきあがってきた。「この組には60人もいるが」と僕は考えた。「僕ひとりのほうがその60人よりうまいんだ、僕たったひとりのほうが・・・」

   上半身をのばし、それらの絵をじっと眺めているうちに、僕は、自分のなかにひそんでいる何者かが、皮膚をむずがゆくさせるのを感じた。そいつをごまかしてしまうことは不可能らしかった。そいつはしきりと僕をうながし、さあ描いてみろ、いっぺんお前の力をだしきってみろと囁くのだった。

   そして「僕」は図画教室に忍び込み、時のたつのも忘れて百合の絵を描くことに没頭します。彼を駆り立てたものは、何でしょう?

   最初は、勝利の喜びでした。昔の学校は、こうでしたね。生徒の作品を平等に貼り出すのではなくて、どんなに差がついても、いいものはいい、と認める。過半数が自分の絵だと発見したときの「僕」の気持ちが、手に取るようにわかります。自分は特別なんだと気づくこと。それは時には嫌味なプライドにつながるかもしれません。でもここでは、「絵を描きたい」という純粋な衝動に、それはつながっていきました。「僕」が自分の中にあるもの、自分の欲求を開放し、自覚できたきっかけは、圧倒的賞賛、勝ちの経験だったんですね。

   昨日の「負けから始まるのも、そう悪いことではない」では、受験失敗で自分に×をつけられる経験が、実は大変貴重なものだと話しました。自分の実力に対して否応なしにつきつけられる評価、というものは、大事なのです。○でも×でも、その子に自己洞察のきっかけを与える。

   そんな評価とは関係なしにあなたを受け容れている、という信頼を感じてさえいれば、何も問題はない。子供はそれをバネにして前に進んでいけるものでしょう。その上で、人間の能力には、大きな個体差があることをしっかりと認め、それを子供にはっきり伝えるべきですね。個性尊重も自分探しも、まずそこからではないか。

   そんなことを考えさせられました。



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